昭和40年06月04日  夜の御理解



 今日、久留米の笠さん達が親子で、毎日お日参りが御座います。まあその、笠さん達親子にお話をする事ですけれども、同じ親子でも、違うなと言うて話されていたんだけれども、(?)笠さんの方は、もう朝から油だらけになって、笠さんが修繕をなさっておられますからね。まあしておられると。お母さんの方はもうほんとに、花の中に埋まってまるきり極楽のよう。
 花屋さんですからね。もうそれこそ、花の中に埋まって御座る。私も毎朝、あなたの所から何時も、お供えがあるんですけれども、あの花の前に座るとそれを思う。みずみずしゅうそれぞれの色、形、姿、その花がしかも生き々として、この水あげをしておる。あれを見ただけで心がすがすがしゅう生き々となる。どうですか笠さん、花の中に埋まっておられるんだけれど。
 ちゅうたら、「あの先生もうほんと、花の中で埋まっておるけれどもですたいね。いいえあなたもう、家があなたもう倒れ掛りよりましょうがち言うた。ほんと、あそこの家もうほんと( ? )ですもんね、なんか貸家さんで、それを言っていた方の中の、どげな一級品のはなを売ったっちゃ「ここの花は三級もんじゃろう」ち言うてから、言うごたる風でまあ、人が百円で売る所を、八十円で売らんならんちゅう、様な事で御座います。と言う訳なんですね。
 ですからここんとこ、私が例えば毎朝あの花の前に座ってから、自分の心の中に美しい、またはすがすがしいまたはみずみずしい生き々とした。そう言うその心の状態にあの花を見ただけでも感じる様な思いがですね、あなたの心の中に出来て来ると。その倒れかかっておる様な家が綺麗に立ち直りますよ。と私は言うた。問題は一つ花の中にあるあなた。いわゆるそれが、内容が心の中にはそれを頂かなければならない。
 まあ、い換えると、あんた方の息子さんは、あんたとは反対に油だらけで仕事をしとるんだけれども、心になんとはなしにみずみずしい、その生花の切花の様な物を感じて行かれとるが、果たしてお母さんどうだろうかと言うて、言うた事です。椛目の場合もそうでしょうがて、もうほんとに継ぎ足し継ぎ足しで、ここのお広前へ行きよったら、お広前行きした後、くぐんで歩かにゃんごとある。
まあ倒れかかってこそおらんばってん、入って見るとその、なんだったけれどもです。段々結局私なりまたは、ここでは皆さんの信心の稽古をなさる方達の心の中に、生き々としたそのみずみずしい。花の様な心が大きくなって行く様にな らせて頂いたら、神様がどうでも今度は、新しい家を建ててやろうと言う働きになって来たんですからね。ち言うたら、ほんにそげなもんですかな、と云う訳なんですね。
 今晩は皆さん、総代それから各部の部長さん方が集まられてから、ご造営それから記念祭。まあその他の事に付いてのお話合いがあるんでしょう。今日はその特に大事な決定事項なんかが御座います。そこは皆さんの日頃の信心に物を言わせてですね、どうぞ特にならご造営ならご造営にでも、お祭りならお祭りにでも人情の挟まんで済む、人間心の使うてないどこまでも神乍な、おかげを頂けれるおかげを受けなければならん。
 私今日、その事をお願いさして貰よりましたらですね。皆さんが例えば、このご造営ならご造営と言う事に対して、様々な修行なさっておる。その折角の修行がね、修行に生きた修行になって、それがおかげになって来る様なおかげにならんければいけないと言う事です。ご造営と言う事を中心にしてです。んなら例えば修行をなさっておられる、例えばなら総代さんを始めです。
 明日の御祈念に総勢、勢を揃えてその事を祈り、願い続けておられる。そういう例えば修行にです、不浄が入ってはならないと言う事です。言わば不浄じゃないその修行を死んでしまう修行様な事になってはならないと言う事です。どこまでもいわゆる、神様の御神意を体してです。そして事が進められ話が進められていかなければならないと言う事です。人情を挟んではならないと言う事です。
 例えばならご造営の今度の、まあ一つの落札と言った様な事においてもそうなんです。折角皆さんその事に焦点を置いて修行なさっておられるその修行がです、ちょっと不浄が入った為にです、ちょっと人間心使うた為にです、その修行が枯れる様であってはならない。とそんな事私思わさしてもらいよりましたら、今日私丁度、笠さんにお話さして頂いた、この花の事を頂くんです。
 どうぞこの花もう一偏見直して下さい。この花を見ただけで例えば椛目の今の信心の状態が分かるのです。菊の花は真っ白いのが中心それに白いユリ。まあユリの花は白いまあすがすがしいと言う意味でしょう。白い菊と言うのは椛目の信心のシンボルと言われておるそれなのです。始のあいだは左程にも思ってなかったけれども、段々話が進んで来るに従ってです一つずつ真心の花を咲かしていっておるという、あのあれは何と言うんですか、一つ一つずつ咲いて行く花は。あれは何です何て言う花ですか。ね。
 グラジオラスって言うんですかね。下の方へ咲いているですね。そう言う様な人達もあると言う事でしょう。また今度はこちらにです、ニク色のバラがあるでしょう。花は立派に咲いておるけれどもです、ニク色と言った様な事は人情、人情と言う事です。人情使てイライラする様な事は入ってはならないと言う事です。そして、一番大事な、言わば、安心と言う事の紫の一番下にね、オドギリが入っておる。一番下に。下にあるから黒いから分からない。日頃頂いておる信心が一つになってしまっておると言う事。
 言わば菊の花の様なユリの花の様なすがすがしい、言わば椛目の言わば信心をもってです。その中には信心の工程はありましょう。なら始めの間はそげな風には思わなかったけれども、一つ一つご造営ならご造営に対して意欲を燃やし、これはこげな事じゃいかん真心をもっと捧げなければいけないと云う様な風にです、もう信心がこう進んで行きよる方達もあるんです。始めからそげんに思ってなかったと言う人達もあるんです。
 けれども全体として、あのうみずみずしい切花様なです、気持ちで私は今日の話が進められる。そして成程これは神乍であったと言う所に落着し、しかもそれが神乍なご成就と言う事になって行かなければならん為に、人情、いわゆる自分達の感情、そう言うような物の入らない様に、どこまでも祈りに祈り。だから皆さんが矢張り袋のない信心、日頃の信心で私は、見当をなさらなければならないと思う。そう言う所をどうぞまあよろしゅうお願い致します。どうぞ万事神乍なおかげになってまいります様にお繰り合わせをお願い致します。